あんず雨

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戦国末期~江戸時代前期の地震

2012/09/23 08:52 ジャンル: Category:身辺雑記
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昨日、津波で消えた長浜を書いた流れで、桃山時代に畿内を襲った大地震、通算で何回だったのかが気になり、検索してみました。

地震の年表(日本)Wikiページ
↑このページの、16世紀の天正・文禄年間を、以下にコピペさせていただきます。(平伏)
1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、超巨大連動地震の可能性がある[注 8]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震。2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。


天正大地震(正確には『天正地震』??)の前、同じ年か前の年か(数字のどちらかが誤植?)やはり畿内周辺で大地震があったようで…。

関ヶ原合戦前は、加藤清正にオイシイ見せ場のある、伏見城が壊滅に近い状態になった慶長伏見地震と、前述の天正大地震の二つが『戦国末期を襲った大地震』…という印象だったのですが、数年の間に、大きな被害を及ぼす地震が、各地であったことが判りました。

天正13年の、『超巨大連動地震』と推察される天正大地震から数年を経て、約10年の間に大地震が各地に…と思うと、昨年の東日本大震災から、同じくらいの年月は『厳重注意期間』と心せねばならぬ…との気持ちに。

せっかく?ですので、関ヶ原後、江戸時代前期までの地震史を、上記Wikiよりコピペをば…。
江戸時代(1603年頃 - 1868年頃)
17世紀前半・・津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定されている。1611年または1635年説あり[31]。
1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
1608年12月30日(慶長13年11月23日)仙台で地震。津波で50人死亡[32][注 9]。
1611年
9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。東北地方太平洋側[注 10]で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる[19]。大津波による死者約2,000〜5,000人。
1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震- M 7.7。震源は直江津沖。震域は会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国まで及んだ。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もあるが疑わしい[33]、京都で寺社・民家が多数壊れ[34]死者も出たことから、震源が京都沖の局所的な地震とする見解もある[35]。
同日にM7.7 、震源伊豆。伊豆と小田原で被害大。津波被害甚大で多くの死者発生。千葉県銚子市の飯沼観音の境内まで到達したとの記録がある[注 11]。
池上本門寺五重塔が傾く[注 12]。
1615年6月26日(慶長20年6月1日) 江戸地震 - M 6以上、死者多数。
1616年9月9日(元和2年7月28日) 宮城県沖地震 - M 7.0、仙台城が破損。三陸地方大津波。
1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M 6.0
1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本で地震 - M 5〜6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 - M 6、死者多数。
1628年8月10日(寛永5年7月11日)江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた。
1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M 7.1、小田原で大きな被害を出し死者110〜150人。駿河・熱海に津波。
1635年3月12日(寛永12年1月23日)江戸で地震、大きな被害。
1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震(石川県加賀市) - M 6.5、死者多数[36]。
1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後本荘 - M6.5、象潟で津波死者117名。本荘城廊大破。
1647年6月16日(正保4年)M6.5。江戸城の石垣や大名屋敷など破損。小田原城に大きな被害。
1649年
3月17日(慶安2年2月5日) 安芸・伊予で地震 - M 7.0。松山城、宇和島城の石垣や塀が崩れる。
7月30日(慶安2年6月21日) 武蔵・下野地震 - M 7.1、死者多数。
1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 千葉県で津波の記録あり。
1659年4月21日(万治2年2月30日) 会津で地震 - M 6.8〜7.0、死者多数。


大坂の陣辺りまでにしておこうと思ったのですが…。その後も大地震続発な雰囲気に呑まれ、知恵伊豆様ご活躍年代くらいまで…。
(初期の江戸幕府、外様大名対策はもとより、地震への対処も大変だったことが推察されますな)

…慶長伏見地震で、運命が変わってしまったかもしれない武将の話なども書こうと思うたのですが…。

地震年表ですっかり怖くなってしまい…。
こたびはここで止めておこうと思います☆
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