あんず雨

戦国時代マンガやミステリーのコミカライズを手がけております☆キリシタン武将・明石掃部様を敬愛しております♪♪

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桃山時代末期~江戸時代前期の震災

2015/02/17 10:55 ジャンル: Category:戦国時代
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こんにちは。
今朝、三陸の方で地震と津波があり、つい先日、明石様伝承目的で入手した古書にも、江戸期以降の大津波についての記載があり、いろいろ思いを巡らせていたところでしたので、不安な気持ちでニュースを聞いておりました。

今のところ大きな被害は出ていないとのこと、何より…と思いつつ、余震などが無いよう、お祈り申し上げるばかりであります…。

速報を聞いた折、家族と戦国時代の地震の話になり、そういえば自分でブログに書いた気がする…と発掘。

津波で消えた長浜(2012/09/21)
天正大地震、近江・長浜の被災(2012/09/24)
戦国末期~江戸時代前期の地震(2012/09/23)

上記の、最近購入の古書に『津波対策がどんなに貧困であるのか、いくらかの例外を除けばほとんど何もしてこなかったのだ、と沿岸住民の健忘症を指摘して計画性、科学性の不足を訴えた人がありました』という、板沢武雄さんというかたのお言葉が紹介されており…。
板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 1962年7月15日)は、日本の歴史学者。元東京帝国大学教授、法政大学教授。日本近世史、日蘭貿易史を専門とする。
(↑↓解説冒頭をコピペさせていただきましたー)
板沢武雄 Wikiページ

『沿岸住民の健忘症』と表現されておられますが、『沿岸住民』だけでなく、「日本人って…忘れっぽい??」と400年以上前に、海外のかたから指摘されていたことを思い出しまして候…。

天正大地震、近江・長浜の被災でご紹介申し上げた、ルイス・フロイスさんの、天正大地震に関する記録の一部です。

この地震が続いた間、およびその後の数日間はこの話で持ちきりで、異教徒たちは、日々目撃することや、遠隔の地の惨状を耳にするたびに、言いようもない恐怖に打ちのめされた。だがその後、ごくわずかの月日を経てからは、まるで何事も生じなかったかのように、地震について話したり思い出したりする者はいなくなった。
(↑中公文庫『完訳フロイス 日本史3 織田信長篇3』199ページより抜粋)


『ごくわずかの月日』という表現、原文ではどんなニュアンスなのか気になりますが、フロイスさんの「え、えええーーーッ!あんなに大騒ぎだったのに、もう忘れちゃったの!?」という素直な驚きが伝わって参りますような☆

…過ぎた厄災は早く忘れて前進しよう!という心持は素晴らしいと思いますが、裏腹に潜む危険性『大きな被害を出した原因をじっくり検証して、次の災難に備える』ということが、やはり、どうしても曖昧になりがちな国民性なのやも…。

誰よりも忘れっぽい私は、久しぶりに拙過去ブログを読み、「おお…こんなこと書いてる、当時の私☆」と感心したり呆れたりいたしましたが、これらを書いた東日本大震災の翌年は、防災意識がとても高かったな…と思い、そこは今の自分、恥じなければ…と思いました。

せっかくですので、戦国末期~江戸時代前期の地震でご紹介申し上げたWiki地震の年表 (日本)からの記録を再コピペ、見やすいように行間をあけて再掲させていただくことといたします。

1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。

1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
余震が1年以上続く。
三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、超巨大連動地震の可能性がある[注 8]。

1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震。2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。

1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。


江戸時代(1603年頃 - 1868年頃)
17世紀前半・・津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定されている。1611年または1635年説あり[31]。

1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。

1608年12月30日(慶長13年11月23日)仙台で地震。津波で50人死亡[32][注 9]。

1611年
9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。東北地方太平洋側[注 10]で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる[19]。大津波による死者約2,000〜5,000人。

1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震- M 7.7。震源は直江津沖。震域は会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国まで及んだ。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もあるが疑わしい[33]、京都で寺社・民家が多数壊れ[34]死者も出たことから、震源が京都沖の局所的な地震とする見解もある[35]。
同日にM7.7 、震源伊豆。伊豆と小田原で被害大。津波被害甚大で多くの死者発生。千葉県銚子市の飯沼観音の境内まで到達したとの記録がある[注 11]。
池上本門寺五重塔が傾く[注 12]。

1615年6月26日(慶長20年6月1日) 江戸地震 - M 6以上、死者多数。

1616年9月9日(元和2年7月28日) 宮城県沖地震 - M 7.0、仙台城が破損。三陸地方大津波。

1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M 6.0

1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本で地震 - M 5〜6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。

1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 - M 6、死者多数。

1628年8月10日(寛永5年7月11日)江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた。

1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M 7.1、小田原で大きな被害を出し死者110〜150人。駿河・熱海に津波。

1635年3月12日(寛永12年1月23日)江戸で地震、大きな被害。

1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震(石川県加賀市) - M 6.5、死者多数[36]。

1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後本荘 - M6.5、象潟で津波死者117名。本荘城廊大破。

1647年6月16日(正保4年)M6.5。江戸城の石垣や大名屋敷など破損。小田原城に大きな被害。

1649年
3月17日(慶安2年2月5日) 安芸・伊予で地震 - M 7.0。松山城、宇和島城の石垣や塀が崩れる。
7月30日(慶安2年6月21日) 武蔵・下野地震 - M 7.1、死者多数。

1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 千葉県で津波の記録あり。

1659年4月21日(万治2年2月30日) 会津で地震 - M 6.8〜7.0、死者多数。





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